D(パリ高等研究院との共同指導)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現在、東北福祉大学総合福祉学部専任講師。 政教分離という用語を聞いたことがあるでしょうか?現代の民主主義の政治を保つために、提唱、実行されている原理です。実は世界の政治問題を考えていく上で、政教分離の知識は欠かせないのです。 æ­´ …  フランスには、2002年から2007年まで留学しました。研究対象は19世紀でしたが、スタジ委員会、「ヴェール禁止法」、2005年の政教分離100 周年など、ライシテのアクチュアリティを間近で経験したことは、とても大きかったと思います。もっとも、最初から語学の力が十分にあったわけではないので、「あのときの話はこういうことだったのか!」と合点するのは事後的だったりします。今でもそういう発見があります。 政教分離原則(せいきょうぶんりげんそく)は、国家(政府)と教会(宗教団体)の分離の原則をいう 。 また、教会と国家の分離原則(Separation of Church and State)ともいう 。 ここでいう「政」とは、狭義には統治権を行動する主体である「政府」を指し、広義には「君主」や「国家」を指す 。  ある意味で、イスラームを前に硬直化してしまう教条的ライシテ主義は、かつてカトリックを敵に回すことでライシテが推進力を得ていた記憶を別の地平で反復しているのだ、とも言えるでしょう。 なお政教分離の本来の考え方については以下の記事でやや詳しく述べています。 ホッブズ(4)誤解だらけの政教分離 前回記事「ホッブズ(3)ホッブズの政教分離論」では、ホッブズの政教関係(政治と宗教の関係)についての考えを紹介しました。 ところがフランスにおける「平等」が特に特徴的なのは「世俗主義」という考え方です。フランスでは政教分離であるとともに、教育現場などでも宗教色は原則排除されているそうです。 員ら12人のみ。読経もなければ、祈りの言葉も … 本セミナーでは、 1789 年のフランス革命と 1905 年の政教分離法、およびその関連項目を取りあげ、同書がわれわれフランス研究者のみならず日本史研究者にとってどういう意味があるかを比較史的視点も入れて論じてみたい。 教育や政治の場が ©ã‚„かな分離かが決まってくるということでしょうか? 払猿 : そうなります。 見方次第ですが、これは、「政教分離の原則」(これを徹底して市民社会の平等を確保するという考え方)を厳格に守るフランス共和国と「宗教&自由」の二つの原理主義に傾くアメリカ合衆国との対立であったと考えることができます。  著書に、『ラ イシテ、道徳、宗教学――もうひとつの19世紀フランス宗教史』(勁草書房、2010年)、訳書に、ジャン・ボベロ『フランスにおける脱宗教性(ライシ テ)の歴史』(共訳、白水社、2009年)、マルセル・ゴーシェ『民主主義と宗教』(共訳、トランスビュー、2010年)、ルネ・レモン『政教分離を問い なおす』(共訳、青土社、2010年)。, http://www.flickr.com/photos/39957829@N02/3673584154/, いずれにせよ、このことは、革命で一気に社会構造や世界観がカトリックからライシテに切り替わったわけではないことを示しています。ライシテにつながる考え方も、最初から宗教に対して外在的だったわけではなく、むしろ新たな宗教を求める宗教批判の内側から生まれています。また、ライシテは、政教関係を規定する法制度という枠にとどまるものではありません。それは、カトリックに代わる新たな包括的な価値体系の担い手でもあったのです。この点は、拙著『ライシテ、道徳、宗教学――もうひとつの19世紀フランス宗教史』(勁草書房、2010年11月刊)で詳しく論じていますので、興味のある方はご覧ください。. žãƒ•ãƒ©ãƒ³ã‚¹ã®ãƒ›ãƒ¼ãƒ ã‚°ãƒ­ã‚¦ãƒ³ãƒ†ãƒ­ã¯ã‚¤ã‚¹ãƒ©ãƒ ãŒåŽŸå› ã‹ï½œå¯¾ç­–や日本との関係, フランス家庭驚きの食事文化の特徴|ホームステイでも普通の7時間食事会, ホームステイで失敗しない3ルール|受け入れホストファミリーと仲良くなる方法, 人気Vチューバー星街すいせい身バレや炎上&引退情報|沼にハマって聞いてみた, 初心者向け人気!育てやすく可愛い!癒しの室内多肉植物ハオルチア|趣味の園芸.  共和派とカトリックの抗争は、1905年の政教分離法制定以降も続きますが、和解の枠組みは同法に規定されていました。当時のライシテの課題は、社会的重みを持った制度としてのカトリックを、私的なもの=民間のもの(プライヴェートなもの)と規定し直し、それに自由を与えることでした。現在のライシテの課題は、むしろ宗教の持つ公共的な役割をどのように認めていくかという形で定式化されています。  フランス革命の「自由・平等・博愛」の理念に対応させて言えば、ライシテとは、宗教的な隷属から個人を解放し(自由)、国家が諸宗教に対する中立性を守り(平等)、政治参加を通じた市民の連帯と社会統合を実現する(博愛)ことを目指すもの、と言えるかもしれません。「人間は政治参加を通して市民になる」という発想も、フランスのライシテを理解するうえで重要です。 フランスは、一にして不可分であり、そして、ライックで民主主義的で社会的な共和国です。共和国は、全領土の全ての市民に対し、法の下に平等を保証し、あらゆる信仰を尊重します。 第2条 ライックな共和国は政教分離をうちたてています。  最近では、ケベックのライシテにも守備範囲を広げながら、ライシテの国際比較ということを考えています。複合的な意味を持った「ライシテ」という言葉が、日本語のなかでどのような処遇を受けるのか――カタカナ語としてある程度定着してくれるのか、受容的拒絶という運命をたどるのか、それともこの言葉にふさわしい日本語への置き換えがきちんとなされていくのか――興味があります。そして私自身、このプロセスに主体的にかかわっていきたいと思っています。, 1975年、仙台生まれ。東京大学文学部卒、東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了、同博士課程単位修得退学。リール第三大学博士課程修了、 Ph. フランスのスカーフ法がなぜ政教分離なのかわかりません。国家が宗教的なものに介入しないのが政教分離ではないのでしょうか? すごくデリケートな問題ではあるんですが、僕なりの考えをお答えします … また、狭義の政教分離は友好的分離と敵対的分離に分けられ、それぞれの代表例として米国とフランスがあげられてきた。 完全な類型化はできないにせよ、政教分離という言葉を用いる際に、広義か狭義かに関しては、可能な限り自覚的である必要がある。 意外に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、フランスは多民族国家。いろいろな文化的バックグラウンドを持つ人々によって構成されています。でも、多様性は文化を豊かにしますが、複雑にもします。なぜなら違った文化(宗教、思想、習慣など)を持った人々…  そのような観点から、一外国人研究者として感じるのは、フランスでは、この「宗教的自由」が、「宗教〈に基づく〉自由」というより、「宗教〈からの〉自由」と観念されやすいことです。「感じる」と言いましたが、ここにはれっきとした歴史的理由があります。 フランスの宗教状況を見ていきましょう。カトリック教徒が比較的多いものの、その割合は過去数十年の間に縮小し、現在は無宗教割合が増えているなど世俗化が非常に進んでいます。フランスが持つ歴史は「現代世界史の幹」とも表現されるなど、近現代のヨーロッ まず現代のフランスにおける宗教の現状ついてざっと紹介します。 今日フランス人の多数の宗教が、カトリック教であることには変わりません。フランス人全体の64パーセントの人が、自分がカトリック教徒であると考えています。しかし毎日曜日に教会へ行ってミサに参加するような敬虔な信者は5パーセントにすぎません。 フランス人全体の6パーセントがイスラム教徒であると答えていますが、モスクで祈りを捧げる敬虔 … まります。ドレフュス大尉の冤罪の背景には、反ユダヤ主義的な主張を行うカトリック教会の存在があると考えられたからでした。 テについて解説。 フランスの中学校教員・ポールマッカートニーエリオのコメント。 テ)が確立した。1989年以降、イスラーム系移民の増加により原則が動揺している。 大きく分けると 2つの要素からなっています。 「国家と教会の分離」を示す. テ 」とはフランスにおける 政教分離の考え方 で. 19世紀初めごろまでフランスは 宗教 と公的機関である. 「フランス独特の政教分離原則」のことだな、と。 「そういえば、フランスの政教分離は他の国よりもずいぶん厳しいと聞いたことがあるぞ。 たしか数年前、学校でイスラームの女性がスカーフやヴェールを被ることが法律で禁止されたはずだ。  このように、ライシテの課題が変化しているわけですが、ライシテの内実そのものも変化しています。かつてのライシテは、宗教を脱魔術化することで自らを魔術化し、それで包括的な価値体系としての信憑性を有していたわけですが、現在はその信憑性が磨り減ってしまい、ライシテ自体の脱魔術化が進んでいます。 というよりも、日本でフランスにおける政教分離を紹介する場合の多くはそうした批判的な描き方なのである。そのことは「憂鬱」という見出しに象徴的に表れている。そして大野氏は政教分離原則が導入されて以後のイスラム教徒の歴史に軽く触れる。  このように、フランス革命はライシテの歴史にとって特権的な起点をなしています。ただ、「ライシテ」という言葉自体の初出は、実はそれから100年近く経った1870年代なのです。新語が登場するとき、その言葉の実質的内容はすでに存在しているとも、新語は自らのルーツを〈作る〉ことで生まれるとも言えるでしょう。, *2:1598年、フランス王アンリ4世が発布した勅令。プロテスタントに対する寛容を認める内容で、フランスにおける宗教戦争を終結させる役割を果たした。1685年、ルイ14世のフォンテーヌブローの勅令により廃止。, 課題の変化 フランス史のなかで 2016 å¹´8月 日本 の宗教団体 が持つ政教分離 に対する 考え方についての 一考察 岩 隈 道 洋  私はもともと、そして今でも、「おフランスな人間」ではないと思っていますが、フランスの歴史やアクチュアリティを学ぶにつれ、フランス流の発想や解決方法が、日本語環境にどっぷり漬かっていると、なかなかわかりにくいということが見えてきました。そこに理解の通路を切り開くことは、一定の意義があるのではないか、とも思うようになってきました。仕事が板についてきたということだといいのですが。  しかし、他方では、ライシテ自体の脱魔術化にともない、世俗的な価値観も宗教的な価値観も横並びになるという事態が生まれています。すると何が起こるかというと、これまでもっぱら宗教との関係において規定されてきたライシテが、必ずしも宗教との関係性を必要としなくなってくるわけです。要するに、これまでのライシテは「宗教的自由」とか「諸宗教の平等」と言ってきたわけですが、そこから「宗教的」とか「諸宗教」という言葉を取っても構わないような状況も生まれてきていると思います。もちろん宗教を含むけれども、宗教にかぎらないわけです。そのようなものとして、ライシテが人権保障や差別撤廃の概念として再定位されつつあるようにも思います。, ライシテは「非宗教性」と訳されているけれども、案外「宗教的」なのではないか。この素朴な疑問は、19世紀後半の国民国家形成とライシテの関係を宗教学の観点から問う、という研究を続けているうちに、確信に変わっていきました。  16世紀の宗教改革とそれに続く宗教戦争は、ヨーロッパをプロテスタント国とカトリック国に色分けしました。アメリカに渡ったピューリタンもいました。「宗教〈に基づく〉自由」の発想は、プロテスタント的なのですね。フランスでは、アンリ4世がナントの勅令(*2)を出しましたが、ルイ14世はそれを廃止しました。信仰の単一性によって特徴づけられる国という状態で、1789年の革命を迎えたわけです。そういうわけで、フランス共和国にとっての宗教的自由は、「宗教〈からの〉自由」のニュアンスが強いのです。